1.4月 1

白鳥雪姫(しらとりゆき)はオペ室から準備室に戻り、大きな溜息を吐いた。 バイク事故のオペはあまり好きではない。 どうしても4年程前の事故を思い出してしまうからである。 患者の一命は一応取り留めたが、右足の機能が戻るかどうかはリハビリ次第というところだった。 家族はとりあえずは命があることを喜んでいたが、目を覚ました本人はきっとショックを受けるだろう。 彼女の見立てでは機能が8割戻れば良い方で、最悪の場合は車椅子になる可能性もあると踏んでいた。 今日のオペ室内の面子は女性が彼女しか居なかったので、そのまま一気にオペ着を脱いで白衣に着替えることにした。 「おう、お疲れ」 「緊急で私を呼ばないでくれる?」 「足だから整形外科、仕方ないだろう」 「心臓だろうが脳だろうが呼ばれるけどね」 「仕方ねぇな」 「整形外科だったら、ホークが行けば良かったじゃない」 「スワン先生、それは八つ当たりですよ。ホーク先生はホーク先生でお仕事していたじゃありませんか」 「ホークのオペ、心臓でしょ?変わればよかったな」 「そんなにキツかったか。バイクだって言ってたもんな」 朝4時。 医局には当直の医師しか居ない。 スポーツ整形外科の席は医局の一番隅にある。 スポーツ整形外科部長の井坂鷹秋(いさかたかあき)が日当たりのいい場所がいいと死守した結果である。 先に緊急オペを終えていた鷹秋は自席に座り、コーヒーを飲んでいた。 「スワン先生、ココア飲みますか?」 高瀬雁夜(たかせかりや)の問いに雪姫が頷けば雁夜がカップを持ってポットの方へと歩いて行く。 雪姫より4歳年上の彼は今年23歳。 医療界の天才と呼ばれた雪姫がアメリカで医師免許を取ったのが7歳の時。 そして、日本の医師免許の年齢制限に特例措置を付けさせて日本の医師として勤務するようになったのが13歳。 もちろん、史上最年少である。 去年から雁夜の指導医としてオペの指導をしているが、オペ以外では面倒を見られているというのが正確なところだった。 「大丈夫か?」 「誰に聞いているの?人一倍そういうのに鈍感になっているのよ、私」 「仕方ねぇ、医者はそういうものだ」 7歳から人の生死を近くで見てきた。 この手で何人の人間を殺してきたのだろうと偶にふと思う。 救った人間の方が多いのが唯一の救いだが、遺族にとっては何の慰めにもならない言葉だ。 「・・・バイクは危ないね」 「そうだな」 「スワン先生、ココア入りましたよ。飲んで落ち着きましょう」 「そうね、ありがとう、グース」 ファルコン総合病院は東京蒲田駅近くに位置するファルコン製薬が運営する緊急指定病院である。 その中のスポーツ整形外科に整形外科医として所属している。 アメリカ時代から有名だった三人にはそれぞれ鳥の名前が付いていることも有り、 鷹秋はホーク、雪姫はスワン、雁夜はグースと呼ばれていた。 その三人がファルコン記念病院で同じ部署で働くことになり、三人合わせてスリーバードと呼ばれることも有る。 そして三人共整形外科だけではなく、 心臓外科や脳外科に精通していることも有り、緊急対応では真っ先に呼ばれることが多かった。 「あんまり寝てられないんだよね」 「10時から学会だからな。8時30分にここ出るぞ。それまでに準備しとけ。スーツ有るよな」 「スーツは年中置いてある。すっぴんでいいかな」 大体どうして自分達が行かなくてはならないのかと雪姫は大きな溜息を吐いた。 学会は昔から嫌いである。 揃いも揃って大人達が分かりきった馬鹿な話しかしないからである。 有意義な時間は殆ど過ごせない。 学会でべらべらくだらない話をするのが主な仕事の人間もいるからだ。 今回は3人の発表は無いので余計退屈である。 そもそも専門分野ではなかった。 院長が呼ばれていたのだが、行きたくないと言い出して逃げたのである。 そのお鉢が回ってきた形だった。 「当直の次の日に学会って、寝ろって言っているのかな」 「そうじゃねぇか?俺はそうだと思って寝るつもりだけど」 「少しは真面目に聞こうと努力しましょうよ」 「だってもう疲れちゃったよ。整形外科じゃないし、確か脳神経外科でも無いんだよ?私関係ないじゃん」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     雪姫の最初の専門は脳神経外科である。 10歳まで脳神経外科に所属し、それから整形外科に所属していた。 今でも脳神経系の難しい手術は、彼女が執刀することも多かった。 鷹秋も昔は脳神経外科に所属していたが、彼が脳神経系の手術を受け持つことはなく、その代わり呼吸器外科に強かった。 「サーボーリーたーいー」 「ダメです」 ピシャリと雁夜が言い放った。 三人の中で一番しっかりしていると言われるのが一番新人である雁夜である。 そして我儘な鷹秋と雪姫をなんだかんだで操作しているので 三人の中で一番権力を持っているのも雁夜と病院内では噂されていた。 雪姫は不貞腐れたような表情を浮かべてから椅子に深く腰掛ける。 「眠い」 「寝ていいですよ。仮眠室で」 「ここで寝ると現場で寝られんぞ」 「現場で寝ないでください」 「グースも寝とけ、ちゃんとな」 医者は何処でも何時でも寝られるスキルを手に入れておくと便利だと鷹秋に言われたことがある。 確かにその通りだ。 家で寝ていても呼び出されることもあるし、 緊急オペで10時間とか行ってしまうと睡眠時間が充分に取れなくなることだって往々にしてあるのだ。 7歳から医師として働いている彼女はいつの間にか何処でも何時でも寝たい時に寝られるスキルを手に入れることはできたが、 医者としてもう一つ重要だと言われる寝起きの良さは全然手に入らなかった。 生まれつきの物だと諦めたところである。 ちなみに鷹秋も寝起きは悪い方なので、こればかりは訓練してもどうにもならないものらしい。 雁夜は寝起きがいいらしく、彼女はそれが羨ましかった。 「大阪行きたい」 「クレインズの二軍戦みたいだけでしょ」 「そうだけど」 ココアを一口飲んで呟けば目の前で書類作成を行っているらしい雁夜からツッコミが入った。 緊急オペ後に良く書類作成を行う気になるものだと感心する。 雁夜に言わせてみれば、 それは雪姫と雁夜の男女の体力差だから仕方ないというところらしいが、 緊急オペ後、すぐに鷹秋が書類作成をしているところは見たことがなかった。 彼の場合は普段もあまり見ないが。 「明日、軽井沢行くんでしょ?」 「うん、行くけどさ」 「じゃあ、今日は頑張ってくださいね」 「うん・・・」 「何処に泊まるんです?ホテル?」 「ううん。古都(ふるいち)の別荘だよ」 古都家は世界一のシェアを誇る製薬会社、ファルコン製薬を経営する一族である。 日本でも五本の指に入る程の大富豪で、世界でも上から数えた方が早い程の資産額を誇る。 しかし、日本で古都家が有名なのはそれだけではない。 10年前の豪華客船沈没事故、 5年前の天空航空旅客機墜落事故、 そして3年前の人気シンガソングライター古都飛鳥(ふるいちあすか)のバイク事故。 その全ての事故の被害者の中に親族が入っているという日本一乗り物運の無い一家として広く知られていた。 「迷子になるなよ。まあ、軽井沢まで行けば、泉か弘樹が迎えに行くだろうけどな」 古都家の次男である古都泉(いずみ)と鷹秋の甥である井坂弘樹(ひろき)は 今年から長野県北佐久郡軽井沢町に本拠地を持つプロ野球球団、中部クレインズに所属する野球選手である。 泉は投手としてドラフト1位指名、弘樹は内野手として2位指名で入団した。 それに伴い、今年の3月から軽井沢にある寮住まいである。 「ご飯とかどうするんです?」 「泉くんと弘くんが外泊届けを出してくれて、別荘に泊まってくれるって」 「本当に過保護だな」 「ギリギリまで俺も行くって言い張っていた人が言う台詞じゃないです」 「こいつだけ遊びに行くのはズルいだろう。俺だって軽井沢行きたいぞ」 鷹秋が口を尖らせた。 5年前の天空航空旅客機墜落事故は、アメリカから日本に向かう便が墜落した大事故である。 多くの医療関係者が乗っていたことも有り、この事故は日本医療界に大打撃を与えたとも言われていた。 当時のファルコン製薬取締役社長であった泉の両親、 ファルコン記念病院経営者の弘樹の父親、 それぞれ脳神経外科医と麻酔科医であった雪姫の両親、そして看護師であった鷹秋の妻。 雪姫と鷹秋も同便に乗る予定だったが、直前の急患対応の為、乗り遅れたのだった。 「もちろん、明後日の試合は見て帰ってくるんですよね」 「当たり前じゃない」 アメリカから初めて日本に来た途端、両親を亡くした雪姫の親権問題は親族間でとても揉めた。 結局は指導医でもあった鷹秋が後見人として引き取ることになった。 それから東京の蒲田にある古都家の実家で当時下宿していた弘樹と共に雪姫も暮らすことになったのだ。 その為、泉と弘樹とは兄妹のような関係で過ごしてきた。 「早く一軍に上がれって言っとけよ」 「私なんかに言われなくても分かっていると思うよ」 「高瀬義巳(たかせよしみ)なんか開幕一軍スタメンだぞ」 「ああ、まあそうですね」 高瀬義巳。 雁夜の双子の兄であり、 中部クレインズと同じアースリーグ、通称ア・リーグに所属する東京ラビッツに今年ドラフト1位入団した外野手だ。 聖龍学園大学の泉や弘樹と大学は違うものの、高校時代から仲が良く、古都家にもしょっちゅう遊びに来ていた男。 中部クレインズと東京ラビッツは親会社が敵対関係にあるということもあり、特別なライバル関係と称されることも多い。 義巳と雁夜は一卵性双生児であるだけにそっくりで、特に声は瓜二つであった。 雁夜の声を聞き慣れている雪姫や鷹秋でも声を聞き分けるのは至難の業だろうと思うほどに。 ちなみに鷹秋と甥の弘樹もこれ以上ないくらいそっくりで、 弘樹の17年後の顔は鷹秋の顔だとしょちゅう弘樹はからかわれていた。 鷹秋と弘樹がよく似ているのは雪姫にとっては決してありがたいことではない。 性格は決して似ていないからである。 鷹秋の性格も弘樹によく似ていれば良かったのにと溜息を吐くのは最早雪姫の日常でもあった。 「とりあえず、仮眠してくる」 「僕も直ぐに寝ますね。ホーク先生は」 「寝るに決まってんだろ。学会だけじゃ足りん」 「学会は起きていてくださいよ」 「断る」 「どうせつまらないんだから寝ていればいいんだよ」 予定では3時間ほど寝られる予定だったのだが1時間ほどで目が覚めてしまった。 「お腹すいた・・・」 時計が指す時間は5時過ぎ。 どうやらまだ30分程しか寝ていないようだった。 手術はエネルギーを大量に消費するのか空腹を感じるスパンが短い。 医者が皆比較的スリムなのは手術で膨大なエネルギーを消費するからだと思っている。 すなわち、腹が出ている医者は技術屋ではないというのが雪姫の持論だ。 実際このファルコン記念病院で、現場に出る医者は皆そこそこスリムな体型である。 残念な体型を見るのは主に学会や大学病院。 デスクの前でPCを叩き、机上の空論を並べた論文を書くことに精を出している医者に多い。 「あれ?グース?寝てないの?」 「夜食を食べそびれたことを思い出しまして・・・ってもう朝食ですけど」 「私もお腹すいちゃった」 「オペしましたからね」 「食べるものあるの?」 「今買ってきましたよ。下の売店で。パンしかありませんけど、食べますか?」 「食べていいの?」 雪姫が首を傾げて尋ねると、雁夜はもちろんと頷いた。 3人分の朝食を買ってきたらしい。彼はとても気が利くのだ。 中学まで兄と一緒に野球をやっていたというのが理由だと彼は言う。 「・・・軽井沢の観光ガイド買わなくちゃな・・・」 雪姫のスマートフォンに弘樹から電話が掛かって来たのは学会会場に向かっている最中だった。 丁度電車から降りたところだったので鷹秋と雁夜に断りを入れてから電話に出る。 「もしもし、弘くん?どうしたの?」 時間は9時。 ホテルではそろそろ朝食が終わる時間だろう。 もしかしたら朝練が始まる前かもしれない。こんな時間に何の用だろうと思いながら尋ねる。 「ごめん、今日学会だったっけ?」 「そうだけど、今向かっているところだから大丈夫。電車も降りたところだったし。どうしたの?」 何故雪姫のスケジュールを完璧に把握しているのか謎だったが、彼は元々そういう人間だった。 昔から、雪姫よりも雪姫のスケジュールに詳しかったのだ。 「明日何時頃に着くんだ?迎えに行くけど」 「何時頃がいい?」 「明日は休みだから何時でもいい。今日中に軽井沢に戻るし」 彼等は今、大阪にいる。 今日の中部クレインズ二軍戦の試合は大阪にて天空ダークホース二軍とのデーゲームだ。 試合後、そのまま軽井沢の寮に戻ってくる予定らしい。 明日の月曜日は一日休養日となっている。 火曜日は中部クレインズは小諸球場でのデイゲームな為、移動はない。 何時でもいいのなら、出来るだけ早く行こうかと思いながら自分のスケジュールを思い浮かべる。 今日はこの学会だけのスケジュールだ。 「新幹線のチケット取れるのかな」 「取ってないのかよ」 「だって、何時に着けばいいのか分からなくて」 「・・・まだ観光シーズンじゃないから取れるんじゃねぇか?」 「そうだと思うけど」 「泉にネット注文させておこうか?」 「そんな、悪いよ」 「いや、させておくよ。あいつ今日試合ないし、暇なはずだから」 「そんなわけないでしょ?」 いくら本日登板がなかったとしても、ベンチ入りはしているはずなのだから暇というわけではないだろう。 それでもやると言ったら聞かないのは最早いつものことで、 普段優しくてなんでも言うことを聞いてくれる弘樹が一切引かなかった。 どうやら後ろで泉も話を聞いているらしく、ところどころでそうだそうだと弘樹に賛同する声が聞こえた。 結局、インターネットの手続きは全て泉に任せることになってしまい、チケットが取れたら連絡すると電話が切れた。 小さく溜息を吐いてから振り返れば、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた鷹秋と雁夜と目が合った。 「相変わらず、ベタ甘ですな。我が甥は」