1.4月 2

「今日は勝つかな」 レギュラー番組の収録のため、スタジオにいた。 用意された楽屋で考輝はスポーツ新聞を見ながら唸っていた。 彼は東京ラビッツの大ファンである。 去年惜しくも2位になり、今年こそ優勝を!と言っていたのに、開幕4連敗などがあり、3勝6敗中。 前回の試合も負けていた。 近年稀に見る開幕スタートダッシュ失敗振りだ。 「今年入団の高瀬?はどうなん?凄い話題やったやろ?俺でも知ってるし」 司は野球に全く興味が無い。 どちらかといえばサッカー派だった。 それでもスポーツニュースを見ていれば嫌でも目に入ってくる野球のニュース。 東京ラビッツはドラフトで高瀬義己(たかせよしみ)を1位指名、獲得していたはずだ。 「ああ、高瀬は凄いで。 開幕5番でばんばん打っとる。でも、一番活躍しているのが、今年のルーキーってとこが悲しいわ」 「去年2位やったんやろ?」 「ああ。去年1位のクレインズも最下位やしなぁ。こりゃ近い内に古都も登板するかもしれんで」 「古都!?それは見たいわ!」 古都泉の兄である古都飛鳥のファンである司は思わず声を上げる。 考輝は眉を寄せた。 「顔で野球するんやないねんぞ」 それは考輝、司が何度も言われ続けた言葉だった。 顔で歌を歌うんじゃない、顔で舞台をするんじゃない。 顔だけがいいだけじゃ生き残れない。 顔だけのくせに。 何度も言われた嘲笑混じりの言葉。 「分かっとるわ。でも、注目選手やろ?」 「まあな」 「頑張って欲しいねん。 大変やったはずやんか。 両親といいお兄ちゃんといい。 ずっとマスコミに追い掛け回されてたし。その時この子一般人やったんやで?俺らとは違って」 「うん、せやで。あれは酷かったなぁ」 「酷かったわ、あれ。 みんなして大学押しかけてさ。なんで、彼だけやったんやろ?双子のお兄ちゃんおるよな?」 「その時から古都有馬は海外行っとるからな。追い掛け回すのに丁度いいのは古都泉やったんやろ」 1歳年下の考輝は毎日映し出される泉の姿に眉を寄せていたものだった。 あれは流石にないやろうと。 「いい投球してほしいやん」 確かにそれは考輝も同感であるが、それはラビッツ戦以外での話である。 東京ラビッツ戦に当たらない事を祈るしか無かった。 ネットでみる限り、彼は二軍戦で、二回ほど投げて好投しているようだ。 「でも、古都と高瀬の対戦見たいわ」 「へー、そんな因縁あるん?」 新聞を見たままぼそりと考輝が呟くと、意外そうな表情を浮かべて司が首を傾げた。 「大学野球で当たってるし、古都と高瀬は大学日本代表でも一緒にプレイしてて、仲良いねん」 古都泉の出身大学、聖龍学園大学。 同じく中部クレインズにドラフト5位指名された井坂弘樹も聖龍学園大学出身だ。 高瀬義巳は同じく東京にある、帝都大学出身だ。 大学野球ではライバルとして何度も対戦していたが、 コアなファンは彼等がプライベートでも随分仲が良い事を知っていた。 入団後に特集されたテレビ番組でも泉は対戦したい選手として義己の名前を上げていたし、その逆も然り。 野球ファンとしては注目1位ルーキーの対戦も今年楽しみの一つだった。 初対戦の試合はどちらの球場で行われる事になるか分からないが、できれば生で見たい。 「仕事休めへんかなぁ」 「お前がそんなこと言うなんて珍しい」 「だって、麗奈も興味あるみたいやったし」 彼女が大学で友人になった子の中に古都泉の知り合いがいたらしい。 それから妹は彼に興味を持っている。 「また、妹かい」 「なんや、文句あるか?」 「妹以外にお前を動かすものないんか」 「車?」 可愛い可愛い愛車を思い浮かべながら首を傾げると何故か司が大爆笑し始めた。 予想通りの解答だったかららしい。 もちろん気に入らない考輝は不満を隠さない表情を浮かべるが長い付き合い故か、 司は全く気にする様子が無かった。 考輝が愛するものは妹と愛車。 それはどうやら同期達の総意らしい。 「崖から車と麗奈ちゃんが落ちそうやったら?」 「あほ!そんなもん麗奈に決まっとるやろ!あほちゃうか!」 「なら、麗奈ちゃんと俺やったら」 麗奈に決まっとるやろ、男なら自分で上がってこいと考輝が答えればまた予想通りだったらしく、司が笑った。 気に入らない。 非常に気に入らなかった。 そんなに自分は意外性の無い男だろうか。 「意外性が無いんやなくて、ほんまにお前は過保護やなぁって思ったの」 「お前は妹が居らんからそんなこと言えるんや!」 「まあ、そうかもしれんけどな」 「妹いたら心配やで。変な男に手を出されてたりしないかとか」 「あ、今日の弁当、パスタや」 「人の話を聞け!」 スタッフから渡された弁当にいつの間にか視線を奪われて人の話を聞いていない、相棒にツッコミを入れる。 子供の頃親に人の話は最後まで聞くようにと教わらなかったのだろうか。 ぶつぶつ文句を言いながら彼から弁当を一つ受け取った。 彼は殆ど好き嫌いがない。 強いて言えば、甘いものが好きではないぐらい。 番組で嫌いな食べ物を発表しなければならず、少々困った程。 ちなみに相棒は牛乳が苦手だ。 好き嫌いではなく、飲むとお腹を壊すらしい。 流石ガラスの腸だと自慢するだけある。 本番中に良く腹が痛くならないと尊敬するほど彼はお腹が弱かった。 「お前、カルボナーラに勝手にしたけど」 「ええけど。お前のは?」 「ナポリタン」 「ガキやな」 「そういうこと言うなや!カルボナーラ、お腹壊すんやもん」 「生クリーム?」 そう問いかければ彼はこくりと促いた。 しかし、きっとナポリタンは彼の好みでもあるのだろう。 彼は大抵の子供が好きな食べ物は好きだ。 そして、大抵の子供が苦手な食べ物はあまり得意ではない。 1度事務所の社長に連れて行かれてベトナム料理を食べた時に生春巻きを口にした彼は一口食べた瞬間、 とんでもない顔をしていた。 どうやらパクチーが口に合わなかったようだ。 あの顔は思い出すだけで今でも笑える。 その話をすると彼は必ず渋い顔をするが。 事務所の社長も事あるごとにあの話をするため、司にとってはとんだ黒歴史になっているようだった。 まあ、司は非常に童顔な為、子供っぽい食べ物が好きでもあまり意外には思われないのだが。 「今日は新曲歌うんやろ?」 「新曲というか、この前発売した曲・・・まあ、新曲か」 「新曲やんなぁ?」 「ラビットドームコンサートの宣伝するんやろ?」 「そうそう。チケット売らな」 「完売して当たり前と思われているところが辛いところやな」 「本当に」 いよいよ来週にラビットドームのコンサートが控えている。 来週の月曜日から水曜日の3日間。 東京ラビッツが遠征している間に開催されるのだ。 是非その時までには東京ラビッツにも本調子を取り戻して頂きたいところである。 『ねえねえ、考輝。私今どこにいると思う?』 収録の間の休憩時間、考輝は頭を抱えていた。 楽屋に戻ったら自分のスマートフォンが鳴っていたので無意識に取ってしまった。 いつもは相手を確認しなければ取ることなどないのに。 収録でテンションが上がっていたからか。 「知らん」 元カノである真和(まわ)からの電話だった。 去年、彼女の浮気が原因で別れたのだが彼女はその後も積極的に彼に連絡を入れていた。 レギュラー番組の共演者でもあるため着信拒否もできず、仕事だなんだと誤魔化して電話を無視していたのだ。 元々、彼女に告白されほぼ強引に付き合う事になったので彼に未練は無かった。 『今ね、ロケで知床にいるんだよー。お土産買って帰るね』 「いらん、仕事やから切る」 浮気しといてこの態度はなんなのだろうか。 本当に女は分からない。 ちなみに浮気の理由は考輝がいつも妹を優先して自分を構ってくれず寂しかったからだと言うが、 それも彼には理解ができなかった。 『なあに、考ちゃん、最近冷たいじゃない』 「アホか、なんで優しくせなあかんねん」 俺は浮気された方だと主張したかったが、 彼女との交際は殆ど口外していなかった為こんなところで大声で言うことができなかった。 ここにいる人間の中では司しか知らないはずなのだ。 全く何故自分はこんな低いレベルの女と付き合ってしまったのか。 後悔してもしきれない。 溜息をついて、電話を切る。 向こうはまだ何かを話していたが付き合いきれなかった。 テンションがせっかく上がっていたのに台無しである。 「あの子?」 司の小さな声での問いに首を上下に動かして答えた。 小さく溜息をつきながら首を振る司。 「おモテになると大変ですな」 厭味ではなく、本当にそう思っているだろうことは彼の表情から分かった。 大きな溜息をついてスマートフォンを鞄に投げ入れる。 電源を切らないのはもしかしたら妹が連絡をしてくるかもしれないからだ。 「彼女、俺には全く興味ないみたい。残念」 「あんなんやるわ」 「いらんよ」 「はあ、女ってみんなあんなんなんやろか」 「麗奈ちゃんはあんなんやないやろ」 「麗奈はそんなわけないやろ!一緒にするな!麗奈に謝れ!今すぐ謝れ!」 「今から電話してもええなら」 今にも胸倉を掴んできそうな勢いの考輝にふざけて司が返すと急に勢いが無くなった考輝が何かを考え始め、 やっぱりええと司から離れる。 どうやら相当妹に男が近寄ることが許せないようだ。 「まあ、それは冗談として、や。お前、あの子好きやったん?」 「いや」 彼女がしつこくて断るのが面倒だっただけである。 共演者であるので、無下にもできないとも思った。 曖昧にずっと誤魔化し続けたら、勝手に付き合っていることにされて挙げ句の果てに押し倒されたのだ。 「あかん、堂上考輝が押し倒されたなんてイメージ問題や」 「どちらかというと彼女のイメージ問題やで」 「純情なイメージやからね」 女とは本当に恐ろしい生き物だと思う。 彼女は純情な女の子として事務所から売り出されているらしく、 熱愛発覚など一番事務所が嫌がるスキャンダルだ。 それは考輝や司の事務所も嫌がっていて、口を酸っぱくして気をつけろと言われている。 実際、気をつけすぎて困る事はないので司も考輝もその類の話は神経質になっていた。 しかし、彼女は物凄く自由奔放で男遊びが激しい。 よく週刊誌に報道されないものだ。 事務所が揉み消しているのだろうか。 少なくとも考輝との恋愛沙汰はどこの週刊誌も情報を得ていないらしかった。 事務所に怒られないのもあるが、自分の女の趣味が悪いと思われるのは心外である。 その点で情報が漏れていないのはありがたかった。 「はあ、鬱陶しいわあ」 「俺はモテなくて良かったわ、あの子に」 「お前は積極的すぎるのはあかんもんな」 「うん、あかん。ドン引きするから」 芸能生活を続けて来た影響で時間感覚が無くなっている。 時計を見ると、午前3時過ぎ。 スタジオでは27時と呼ばれていた。 収録が長引くと今が何時なのか分からなくなる。 流石に司と考輝も慣れているので分からなくなることは滅多になくなったが、 長時間のロケになると疲れもあり分からなくなることもある。 「今日、仕事いつからやっけ?」 「19時から」 もうそろそろこの収録は終わるはずである。 そしてその後は家で睡眠を取ってからスタジオでライブのリハーサル。 「今日は麗奈に会えるかなぁ」 「会っとらんの?」 「昨日会った」 「なら、今日ぐらい会えんでもええがな」 一緒に住んではいるが、考輝の仕事が不規則なため彼女とすれ違いになる時も多かった。 高校時代などは平気で一週間程会わなくなる事もあった。 彼女が大学に進学してからは講義の無い日は考輝の帰りを待ってくれているのだが。 「偉いなぁ」 「俺は寝てええって言っとるで」 予定は未定だ。 平気で3時間遅れることもあるし、逆に早く終わることもある。 なので気にしないようにと麗奈にはいつも言っていた。 食事も連絡が無ければ作らなくていいと言っている。 しかし、いつも冷凍庫には彼女の作ったそして考輝の大好物であるカレーとご飯が冷凍されている。 考輝が食べたい時にいつでも食べられるようにという配慮らしい。 本当に自分と血が繋がっているのか、不思議になるほど優秀な妹である。 ちなみに彼女が作るカレーは何故か、実家の母親が作るカレーよりも美味しかった。 何が違うのかは分からない。 「そうや、今度麗奈ちゃんにレシピ教わるんやった」 「・・・なんの?」 「カレー」 「ああ、美味いからな。っていうか、お前、いつカレー食うてん!」 「いつやったっけ・・・随分前やな・・・」 知らなかった。 思い出す素振りを見せた司を睨むように見つめていると、 司は苦笑いしながら両手を挙げて降参の意思表示を見せた。 全く油断も隙も有りはしない。 彼女が魅力的なのは兄である自分が一番良く知っているのだ。 自分が認める男しか付き合いを認めたくはない。 そんな男が果たして出現するのかは永遠の謎。