4月 2

入学式前日なのに・・・と遊梨は溜息を吐いた。 後11時間後には入学式が始まるのである。 本来なら準備をして早めに寝なければいけないのではないだろうか。 そう思いながら遊梨はバイト先に向かっていた。 22時を過ぎているので危ないからと由樹が車を出してくれている。 テレビ局の入口前に付けてもらい、車を降りた。 「帰りは?」 「いーちゃんのバイクで帰ってくるから大丈夫」 「いーよりも早く帰してもらえるようやったら電話せえや。俺か福が迎えに行くから」 「多分そんなことは無いと思うよ」 「・・・明日入学式やで」 心配そうに見送る由樹に手を振って遊梨はテレビ局に入った。 バイトと言っても母親の手伝いである。 母親はヘアメイクアーティストとしてテレビ局に頻繁に仕事で出入りをしていた。 どうやら、本日、アルバイトが大量に休んでしまったらしい。 先に姉である遊唯が呼び出されていたのだが、とうとう遊梨も呼び出されてしまった。 高校時代からちょくちょくテレビ局で母親の仕事の手伝いはさせられていたので、内容は分かっている。 「やっときた・・・遅いわよ」 「よっくんに言って。運転してきたのよっくんだから」 「それなら文句は言えないわね」 「相変わらずよっくんに甘いのね」 「甥は可愛いからね。福ちゃんも可愛いわよ」 「実子は可愛くないのかよ・・・」 「可愛がられていないと思うよ」 背後から先行投入されている姉が来て大きな溜息を吐いた。 どうやら相当こき使われているらしい。 アルバイトが同時に5人休む状況もどうかと思うが、 5人を2人で補おうというのもなかなかの発想である。 ちなみに母親は仕事が多忙すぎて、 実の娘である遊唯も遊梨もいつ寝ているのか、 いつ帰ってきているのか、はたして今は何処にいるのか分からない生活を送っていた。 本日も電話が掛かって来て指定されたから、テレビ局にいるんだと初めて分かった程である。 早速働けと急かしてくる母親に返事を返して仕事に取り掛かった。 「この収録、何時までなの?」 「朝方まで」 「ええ!・・・帰れないの?」 「だからギリギリまであんた呼ばなかったんじゃない」 姉に言われ、大きな溜息を吐く。 どうやら一睡もしないで入学式に参加しなければいけなくなりそうである。 由樹と福が心配するに違いない。 姉は大学3年なので、 入学式当日は休みであるので寝ていればいいが、 流石に入学式に休むわけにはいかないだろうと小さな溜息を吐いた。 内部進学生なので、 休んでもいいといえばいいのであるが、 明日は同じ聖龍学園大学に入学する幼稚部からの同級生、 三琴天使と本日東京大学の入学式に参加する、藤皇帝叶と遊ぶ予定があるのだ。 その予定を崩すわけにはいかなかった。 「入学式の間寝ているしか無いな」 「私も寝ていたし、大丈夫よ」 姉がなかなか無責任なことを言う。 この雰囲気だと保護者として姉が来てくれることはなさそうであるし、 母親も大阪に転勤中の父親も来てくれることはないだろう。 由樹は職員であるので参加は当然であるが。 赴任式にも参加して挨拶しなくてはいけないと悩んでいた。 「福ちゃんが行くかもって言ってたよ?」 「何しに?」 赴任の挨拶をする由樹をからかうために来るのだろうかと思う。 可能性としてはとても考えられることだ。 遊唯は笑いながら半分そうかもしれないけれどと言ってから軽く首を振る。 「家族誰も行かないんじゃリリィちゃんが流石に内部進学生とはいえ、可哀想ちゃうかって。 福ちゃんが一番真面目ね、家は」 散々こき使われ、 一体バイト代はいくら貰えるんだ、 大した額じゃなかったら怒るぞと若干殺意を湧いていた頃、休憩を取るように言い渡された。 4時間ぶっ続けで働いたのだから当然の権利である。 どうやらもっと休憩無しで働かされていたらしい遊唯と空いている楽屋に入る。 どうやらテレビ局では春の特番を収録しているらしく、 芸能人を大勢集めてクイズ番組を行っているらしかった。 子供の頃から母親に連れられてテレビ局やスタジオには入っていたので 芸能人は結構見慣れていたので今更テンションは上がらない。 流石に自分より顔が小さくてスタイルが良いアイドルやら女優やらを見れば驚きはするが、 自分とは別次元のものだと思い、あまり羨ましくもならなかった。 「疲れたね」 「何でも飲んでいいみたいよ。何飲む?」 「スポーツドリンクでいいや」 「私も。はい」 「ありがとう」 「明日入学式なのに不幸ね」 本当だと溜息を吐く。 「福ちゃん来るんだったらあまり寝ているわけにも行かないから、断りたいけどなぁ」 「福ちゃんの好意を無駄にしないの」 「だって、入学式で寝ているところ見られるの嫌じゃない?」 「私は嫌ね」 スポーツドリンクを飲みながら遊唯が頷いた。 姉と遊梨はあまり似ていない。 遊唯はキツ目の顔で美女という表現がとても合う。 男性評は”美人だが気の強そうな女”といったところだろうか。 反対に妹である遊梨は童顔で可愛らしい顔立ちであった。 しかし、性格はお互いその真逆で遊唯の方が優しく、遊梨の方が気が強かった。 「ところでさ、福ちゃんとはどうなの?」 「へ?」 「福ちゃんと付き合っているの?」 「・・・付き合ってないわよ」 「そうなの?隠さなくていいよ」 「あのね、隠す必要ないでしょ。付き合ってないわよ」 「なんだ、てっきり付き合っているのかと思った」 楽屋に置いてあるお茶菓子の中からクッキーを発見して包み紙を開く。 流石にこのぐらいは貰ってもバチは当たらないだろう。 甘い物を好まない遊唯に一応礼儀として食べるかどうかの意思確認をすれば案の定首を振った。 中身はチョコチップクッキー。 クッキーの中でも遊梨が一番好む物である。 できれば紅茶と一緒に楽しみたいところであるが、紅茶の葉は残念ながら用意されていなかった。 しかもテレビ局での休憩中にそこまでリラックスする時間はないだろう。 今は番組収録中だから落ち着いているが、 一度休憩となったらメイク直しの女優やアイドルでごった返すのである。 正式にメイクこそしないまでも、 雑用とアシスタントをさせられている二人には地獄の忙しさが待っている。 今日はそこまで評判が悪い女優やアイドルが来ていないので 救われているが自分の立場を女王か何かと勘違いしている女優やアイドルも多かったりする。 そうなると文字通り地獄の沙汰で気の強い母親と大喧嘩が始まることも多かった。 母親の性格はそのまま遊梨に引き継がれている。 きっと何年か後は遊梨がそういう立場になるのかと思うとちょっと他人事だとは思えなかったりするのだ。 「リリィこそ、よっくんとは?」 「付き合っているわけ無いでしょ。よっくんは他の女の子の相手で忙しいのよ」 「別れたんでしょ?」 京都時代に大量の彼女候補が居たことはよく知っている。 そんな噂は聞きたくなくても何故か耳に入ってくるものだった。 由樹は女を取っ替え引っ替えしていて、しかも浮気症。 あれだけかっこ良ければ女には困らない。 京都に遊びに行った時は由樹の実の妹である 亜里沙(ありさ)にも止めたほうが良いと若干本気で忠告されたこともある。 実の妹にこれだけ言われている兄は多分優しいのだろうなと簡単に想像できて、それはそれで辛かったのだ。 「全部別れたとは本人は言っているけど、すぐにまた彼女できるでしょ?」 顔立ちは綺麗だし、スタイルは良いし、性格は優しいし、家は金持ちだ。 大体の女は放っておかないだろう。 弱点は異常に押しが弱いため彼女がたくさん出来てしまうことだろう。 後、元来の女好き。 昔から遊梨のことは妹のように可愛がってくれていて、 遊梨が遊びに行った時は何よりも優先して遊梨の相手をしてくれた。 昔からバイク好きだった遊唯は福の方に懐いたので、遊梨が由樹をいつだって独占できた。 あっさりと兄離れした亜里沙と奪い合いにならなかったことも大きい。 いつだって遊梨は由樹の後ろを付いて回っていた。 いつだろうか、彼が女の子と楽しそうに笑い合いながら歩く姿を見たのは。 彼は自分だけの物ではないと目の前に叩きつけられたのは。 自分は決して彼処には上がれないのだと言われたような気がしたのは。 それからちょっとだけ距離を取るようになった。 彼が相変わらず優しく遊梨に甘いのが余計辛かった。 遊梨が彼から距離を取るようになってからも彼は変わらない態度。 自分は本当に妹以上には思われていないと再認識した。 「しばらく作らないんじゃないかな。新しい環境に慣れなきゃいけないでしょ?」 「あんだけ押しに弱いからすぐに彼女っぽいの出来そうだよ」 「・・・それは否定しないけどね」 「あんた達!休憩おしまい!」 「「はーい」」