1.4月 2

「おかえりなさい」 「うわ、起きてたんか」 「そろそろ帰ってくるって言っとったし、今日まで休みやったから。京都どうだった?」 「寒やったわ」 「今日は何処も天気が悪かったからね」 「それに大変やったで。 親父の車で京都行ったんやけど、パンクしてもうて。スペアタイヤは入ってるけどジャッキないし」 「大丈夫やったの?」 いよいよ翌日に大学入学式を迎える。 内部進学なので、そこまで環境の変化は無いが、ドキドキ感はある。 これからは夜中まで兄を待つということは高校時代と同じくできなくなるだろうと、 今日は彼の帰りを待つことにした。 迎えられた彼は今日は京都までロケと小さなライブを開催する為に行っていた。 始発に出て行って、終電に帰ってきたらしい。 大阪にある実家に泊まればいいと薦めたが、その案は採用されなかった。 「めちゃくちゃ美人に助けてもろた」 「美人?」 「ああ、もしかしたら芸能人かもしれへんくらい美人。 やって、ポルシェの911カレラやで。あんな若くてあの車乗ってるなんて、芸能人か、大金持ちくらいやろ」 「ジャッキ貸して貰ったの?」 タイヤ交換が出来ない人間は車に乗ってはいけないというのが彼の持論だ。 身体的に麗奈にはタイヤ交換は難しいが、 教習所でタイヤ交換について習った時に彼に何度も手順を教わった。 お陰で手順はしっかり頭に入っている。 パンクしながらも何とか現場まで辿り着いた考輝は、 駐車場でスペアタイヤに交換しようと格闘していたらしい。 そこでジャッキが無くて絶望していた彼に 隣に駐まっていたポルシェから美人が出てきて颯爽とジャッキを貸してくれたというのだ。 彼には救いの女神に見えたであろう。 そもそもジャッキをきちんと載せていない車を貸す父親もどうかと思うが、 父親の性格上大いにあり得ることである。 その美人の友達がGRACEファンだということで、 ライブ開始時間を教え、彼女はライブを観に来てくれたらしい。 ドラマや小説なら運命の恋が始まる瞬間である。 非常に面白くなく感じるのは麗奈の心が狭いからだろうか。 バレないように溜息を吐いてから笑顔を作る。 「運命の恋が始まるかもしれんで」 「連絡先聞いとらんもん」 アホかと罵るべきか喜ぶべきか。 妹の立場としては罵るべきだろう。 だから満足な恋愛が出来ないのだと。 彼は昔から非常にモテるくせに、恋愛に興味を示さなかった。 いつも野球と車ばかり。 仕事を始めてからはそれに仕事が加わっただけ。 妹から見てもストイック。 悪く言えば面白味も何もない仕事人間。 「勿体無いわぁ」 「しゃあないやん。タイヤ交換で精一杯やったから」 「お礼とかせえや」 「うーん、向こうからも来なかったしなぁ」 「何でいつも受け身やねん、アホ」 困った表情を浮かべながら答える考輝に思いとは正反対の事を言う。 心の中では心底ホッとしているのに。 彼は見た目が綺麗で何もしなくてもモテるから自分から行動を起こさないのかもしれない。 でも別に一目惚れやないしと呟いた兄にだからモテないんだというもっともらしい説教をした後、 キッチンに向かった。 流石に夕食は終えているだろうが、飲み物などはどうだろう。 彼が風呂に入るからいらないと述べたので、方向転換。 「明日っていうか、今日は何時から仕事?」 「24時にスタジオ入り。 生放送のラジオや。 それまで仕事ない。だから春休み最終日やし、寝て起きたら何処か行こうか。あ!スーツ用意せな!」 明日は生放送のラジオの後、家に帰ってきて麗奈の入学式に参列する予定である。 そのために司のスケジュールも調節したのだ。 頑張れば両親が来られるので麗奈は断ったのだが、 彼が行くと言って譲らなく、勝手にスケジュールの調節までしてしまった。 いつもそうだ。 彼女の高校の三者面談も彼がスケジュールの調節をしてくれた。 彼にも申し訳ないし、影響を受ける司にも申し訳ないのだがそれが嬉しく感じてしまうのは罪だろうか。 寝室から催事用のスーツを取り出して陰干しをしている考輝を見て小さく笑う。 それはこの前、賞を頂いた時に着ていたスーツだった。 彼が大事な日と認識している時の勝負服。 何色のネクタイを着けようか悩んでいる彼に一声掛けた。 「シルバーグレーのネクタイがいいなぁ。ほら、この前あげたやつ」