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「新幹線乗りたくない」 「朝から我儘言うなよ」 「飛行機はもっと乗りたくないけどな」 「・・・帰りは飛行機だぞ」 「乗りたくない」 「先発なんだから行かないわけにはいかないだろ」 言っても仕方ないことであるが言わずにいられずに大きな溜息を吐いた。 目の前で朝食を食べている弘樹は宥めるように泉を説得する。 更に大きな溜息を吐いて窓の外を見た。 野球選手に移動が多いものだということは知っているし、 仕方のない事であることも了承済みの上入団をしている。 しかし、それでも飛行機移動はできれば避けたいと思うのであった。 それは5年前の飛行機事故の影響でもある。 今でもあの時のことは鮮明に思い出される。 夕食中に付けていたテレビのニュース速報で 両親たちの乗っている飛行機が行方不明になったという情報が入った。 当時、高校に近いということで古都家に下宿していた弘樹と手巻き寿司を食べていた時だ。 当時はまだ肉が食べられた泉は唐揚げを口に放り込んでいた時だった。 和やかな食卓が一気に凍りついた。 口に入っている唐揚げをどうしたのかは全く覚えていない。 それがもしかしたら泉が口に入れた最後の肉類だったかもしれない。 飛行機は嫌いだ。 もちろん、死んでも天空航空機には乗りたくない。 「一軍行けばもう少し移動減るぞ」 「移動はいいんだよ。飛行機が嫌なんだ」 「今日は飛行機乗らないぞ」 子供をあやすような弘樹の声に泉は思わず苦笑いを浮かべる。 相変わらずだ。 同い年なのに泉の方がよっぽど子供っぽい。 彼も父親を同じ飛行機事故で亡くしているというのに。 彼の母親はその更に6年前ほどにくも膜下出血で亡くなっているので泉と同じく両親が居なかった。 「早く一軍行こうぜ。そしたら義巳にも会えるしな」 にっこり微笑んでそう言った弘樹に渋い表情を浮かべた。 「わざわざそんな渋い顔作らなくても」 「作っているわけじゃない」 「ほう・・・俺にそういうこと言うか」 幼稚部の時からの付き合いはこういう時に厄介である。 散々追いかけられているマスコミ等は簡単に騙せるが、弘樹を騙すのは至難の業だった。 全く成功したことがないと言っても過言ではない。 ポーカーフェイスは得意な方だが、何故か弘樹には簡単に見透かされてしまうのだ。 「別に強がらなくてもいいだろ」 「別に強がっているわけじゃない」 「何で別れなくちゃいけなかったんだ?」 「それが必要だったんだよ、俺等には」 上手く笑えている気はしないが、微笑んでみた。 傍から見たら成功している自信がある笑顔だったが、弘樹は変な顔をした。 「何だ、その顔は」 「相変わらず嘘くさい顔だなって思って」 「悪かったな。作り物みたいな顔で。どうせ生まれつきだよ」 祖父からの遺伝であるダークブルーの目、アッシュブラウンの髪の色。 昔は大嫌いだったそれがまあまあマシ、程度になってきたのは弘樹と義巳のおかげだった。 「俺は好きだぞ、眼の色も髪の色も」 「ありがとう」 子供にとって、人と違うというのは悪になる。 幼稚部の時、 明らかにほかの人と違う髪の色と眼の色を持っていた泉は 他の園児に仲間外れにされることなど日常茶飯事だった。 家が一番の資産家ということで他の父兄からも少し煙たがられているというのは分かった。 愛想笑いを浮かべて何をしても怒らない先生。 幼稚部から完全に捻くれた正確に育った泉がいつものように隅で絵本を読んでいた時、 彼の前に園児が現れた。 転園してきた弘樹だった。 「びーだまみたいなめ、してるな。うらやましい」 「・・・ありがとう」 「おれはいさかひろき、おまえは?」 泉が他の園児の中でも浮いていることに気づいても弘樹は泉と一緒に遊んでくれた。 泉にとっては初めて出来た友達だ。 当時、恋愛感情というものが分からなかったが、明らかに泉の性的指向はその当時から男性にあった。 他の男子が女の子のスカート等の話をしていても、あまり興味を持たなかったのだ。 それよりも綺麗な顔立ちの男子ばかりに見とれていた。 自分がゲイセクシャルだと気づいたのは小学生の頃だ。 そういう性的指向があることを知った。 その時には完全に泉の恋愛対象は男性。 一番近くにいる友人である弘樹に言うか言わないか悩み始めたのは中学の時だ。 別に彼に恋愛感情を抱いているわけではなかったが、 このまま誤魔化し続けられるとは思っていなかった。 ただカミングアウトした瞬間、この友情が無くなるんじゃないかということが怖かった。 カミングアウトしたのは中2の夏休みだったと思う。 部活が終わった後だっただろうか。 そして彼はあっさりこう返した。 「今更?」 飲んでいたコーラを噴き出したのは決して泉が悪いわけではないだろう。 弘樹は眉を寄せて自分にかかったコーラを拭き取り、非難がましい視線を泉に向けたのだった。 「それにしても朝からよく食うな」 「朝はエネルギーを取らないとダメなんだよ」 「俺の倍ぐらい食うのに何で身長伸びなかったんだろうな」 「・・・そういうこと言うのか・・・」 「いいじゃねえか、チビの方が目立つぞ。この世界は」 苦笑いを浮かべながらフォローにならないフォローをすれば、 弘樹は泉をぎろりと睨んでからウインナーを口に放り込んだ。 弘樹の身長は172cmで野球選手としては小さい部類の選手である。 小学生の時に野球を始めた時にはピッチャーだった彼は、 中学の時に自分の身長が伸びないことを受けてピッチャーを断念し、内野手に転向した。 ほぼ弘樹に強制的に野球を始めさせられた泉は弘樹とは対照的にぐんぐん身長が伸び、 184cmにまで成長した。 弘樹がピッチャーが良いと言うのでピッチャーのままであり、 彼はあれよあれよという間に高校でも野球をやらされ、 大学でも野球をやる羽目になり、 挙句の果てにプロ野球選手にまでなってしまった。 この世にはプロ野球選手になりたくてもなれなかった人間が山のように居る。 その人間が聞いたら発狂しそうな泉であった。 ちなみに未だに彼は野球選手になりたいと思ったことはない。 「なんかさ、不公平だよな。 ちゃんと野球やってる俺は身体的に恵まれなくて、 別に野球やりたくない泉や義巳が凄い恵まれているなんて」 「誤解を招くような言い方するなよ。 俺は別に野球やりたくないわけじゃないぞ。野球選手になりたくてなったわけじゃねえけど」 「それが不公平だって言いたいの、俺は」 唇を尖らせた弘樹を見て思わず笑みが溢れそうになるが、なんとかこらえる。 別に笑ったところで泉が弘樹を馬鹿にしているとは思わないだろうが、これは弘樹の本心なのだ。 泉、義巳、弘樹の中で一番野球が好きなのは誰かといえば間違いなく弘樹だろう。 義巳は父親に無理矢理始めさせられ、 最初は嫌々野球をやっていたし、 泉は弘樹と一緒に遊べるのは野球だったからという安易極まりない理由で野球を始めているし、 続けていた。 今回のドラフトだって、 弘樹か義巳と同じ球団でなければ入団拒否をして ファルコン製薬役員として兄を補佐する予定を立てていたぐらいである。 結果的には弘樹と同じ球団だったのでプロ野球球団へ入団することになったが。 マスコミに言っても冗談で流されるだろうから言わないが、事実である。 「ま、妬んだことはないけどな」 「そうだろうな。俺もこう見えて大変なんだぞ」 「お前の目は綺麗だけど、野球する時は不便だよな」 「野球だけじゃなくて大抵不便なんだよ」 「プロに入ったらサングラスできるからまだいいだろ?」 目の色素が人より薄い泉には太陽の光は強すぎた。 高校野球ではサングラスを掛けてプレイすることは当然禁じられていたため、 とんでもなく険しい顔をして投げていた記憶がある。 「ま、幸運にも本拠地はドームだったしな」 泉の入団希望球団は弘樹か義巳と同じ球団、 弘樹の希望球団は飛行機移動が格段に少ないアースリーグ、通称、ア・リーグの球団だった。 運良く東京から2時間ほどで着く軽井沢の球団に指名され、更に本拠地は軽井沢ドームである。 二軍戦の小諸球場はドームではないので、 日差しがキツイデーゲームの試合は調子を崩しやすいが、ドームならば話は違う。 野外の球場より格段に日差し問題は起きないのだ。 それでもデーゲームが苦手なのは変わらないが。 泉は溜息を吐きながらコーヒーを一口飲む。 朝は紅茶党であったが、残念ながらここにはコーヒーと緑茶しか用意されていなかった。 コーヒーはもちろんインスタントで、ドリップしたコーヒーより遥かに味が落ちる。 それに文句を言えば、 金持ちの我儘だとか絶対に陰口を叩かれたり嫌味を言われるに違いない と分かっている泉は黙ってそれを飲み干した。 「お前、まだ食うのか?」 「ダメ?」 「いや。よく食うなと思って」 「置いていってくれて構わないぞ」 泉が寮の自室以外で一人になることを嫌がることを知っている弘樹が冗談交じりに笑いながら言う。 色々な意味で入団前から有名人であった泉を皆が好奇の目で見る。 まだ好奇の目で見られているのは良い。 勝手にライバル心を燃やしたり調子に乗っていると勘違いする人間も多いのだ。 特に先輩に。 「ごめん、もうちょっと待って」 一体その体の何処に消えているのだろうかという量を消費している弘樹をみていると面白い。 彼は泉が残した肉類も全て食べ尽くしているのだ。 周りの人間達も野球選手というだけあって、 普通の一般男性の食事の量より平均的にかなり多いはずである。 泉もこの寮の中では小食という位置付けにこそなっているが、 間違いなく同い年の一般男性の食事の量より多い。 その寮の倍、彼は食べるのだ。 だからと言って太っているわけではない。 身体は周りに比べてなんだったら小さい方である。 そういえば彼の叔父も大食漢だが、あまり身体は大きくなかったと思い出す。 「あ、そうだ」 「何?」 「千晃さんの娘さん達芸能界デビューしたんだって。知ってた?」 「知らん。なんだそりゃ」 顔を上げた弘樹が首を振る。 5年前の飛行機事故の遺族代表の弁護士として活動をしてくれている 企業訴訟担当弁護士の中では名の知れている弁護士、藤皇千晃(とうおうちあき)。 彼のおかげで全く進まなかった飛行機墜落の原因究明が少し進んでいるようだった。 今のところ整備不良が原因という可能性が一番高いようだ。 「千晃さんの娘さん、美人だぞ。見たことあるか?」 「はぁ・・・お前が美人って言うなんてな」 「俺は綺麗なものは純粋に褒めるぞ」 「俺、顔見たこと無いな」 「俺はたまたま兄貴の手伝いで事務所に行ったことがあってな。そこに丁度忘れ物届けに来てた」 「血、繋がってないんだよな、確か。10歳差だっけ?」 弘樹の問いに泉は頷いた。 確か彼女は今年19歳である。 彼等が目に入れても痛くない妹分である雪姫と同い年のはずである。 結婚相手の連れ子だったということだったが、 去年その相手とは離婚したらしく、なんと離婚裁判の末、親権を手に入れたらしい。 10歳差の2人は決して親子には見えなかった。 「芸能界デビューって・・・歌手とかか?」 「違う、声優だって」 「声優?」 「今声優も歌とか歌うから歌手活動もするかもだけどな」 「ふーん」 「事務所は?」 「大手声優事務所だって。 名前は・・・なんだっけな。 青戸だったっけ・・・。 レコード会社選べるようだったらクレインレコードをって一応宣伝しておいた。別に俺に儲けはないけど」 3年前にバイク事故で亡くなるまで泉の兄であり、 シンガーソングライターである古都飛鳥(ふるいちあすか)が所属していた事務所、 クレインレコードは鶴亀出版の子会社である。 クレインレコードでは売上1位を記録していた飛鳥のCDは、 いまだにベスト盤などを発売してクレインレコードの売上に貢献していた。 しかし、一番のヒットメーカーを亡くしたクレインレコードの売上はかなり下がっているらしい。 新しいヒットメーカーが欲しいところだろう。 「もう三年か・・・」 「飛行機からは五年だぞ」 「ああ、そうだな。もう五年も経つんだな」 「幸いにもオフシーズンだから、命日に山は登れるぞ」 「ああ・・・うん」 「まあ、賑やかすぎて当日に登りたくない気持ちは分かるけどな」 5年前の1月12日、泉の両親達を乗せた航空機は福岡県の山、春名山(はるなざん)へと墜落した。 毎年1月12日は遺族や関係者、 マスコミ各社が山に登り、 命日に線香を上げたり、供え物をしたり、写真を撮ったり、インタビューをしたりする。 泉と弘樹も家族や知り合いと一緒に今年まで毎年欠かさず1月12日に春名山登山を行っていた。 しかし、問題は古都家である。 大体毎回頂上で待ち伏せをしているマスコミに捕まるのだ。 ある程度覚悟して登ってはいるものの、楽しくはない。 毎年、ファルコン製薬株式会社の代表取締役社長である兄が対応していたが、来年からは泉になるだろう。 「考えるだけで頭が痛くなりそうだ」 「ずらして行くか?」 「俺の我儘でずらせるかよ」 「うちの家族やそっちの家族や雪姫ちゃんは了承してくれるだろ。ずらした方がゆっくりできるし」 「そうするとあんまり目立たなかった雪菜(ゆきな)ちゃんが目立つんだよ」 「ああ、そうだったな」 宮崎の名家、杉乃里(すぎのさと)家の一人娘、雪菜。 あの飛行機にはなかなか有名人ばかり乗っていた。 杉乃里といえば、全国にホテルをチェーン展開している大会社、杉乃里観光株式会社である。 飛行機には当時の代表取締役社長と夫人が乗機しており、 一人娘である雪菜は当時、聖龍学園中等部の寮に入っていた。 今彼女は叔父であるファルコン総合病院の直ぐ傍にある喫茶店エトワールのマスター、 武藤浩史(むとうひろし)が後見人となって一緒に暮らしている。 「雪菜ちゃんも美人になったよな」 ファルコン総合病院には雪姫と弘樹の叔父である鷹秋、 そして義巳の双子の弟である雁夜が勤務していることもあり、 東京に行けば必ず行っていると言っても過言ではない場所である。 その近くにあり、 ほぼファルコン記念病院の社食と化していると言ってもいい、 喫茶エトワールにも頻繁に通っていた。 マスターの武藤は元ファルコン記念病院の整形外科医で今も非常勤として契約はしているらしい。 飛行機事故の後、 雪菜を引き取った武藤は勤めていたファルコン記念病院を辞めて喫茶店をオープンした。 昼間は1階の喫茶店でランチ営業を行っているが、夜は地下で会員制のバーを経営している。 「今年から地下でも働いているよ、雪菜ちゃん」 「え?マジで?」 「去年の12月で20歳になったからね」 正直働かなくても生きていけるんじゃないかというぐらいの遺産と 保険金を手に入れた雪菜は聖龍学園大学の医学部に進学した。 医者になりたいわけではなく、人体の仕組みを知りたいというちょっとズレている理由である。 特に肝臓系に興味があるらしい。 彼女はウェイトレスやバーテンダーに興味があるらしく、 高等部の頃から率先して店に出て武藤の手伝いをしていた。 少々過保護気味な武藤は反対していたらしいが彼女は喜々として働いているらしい。 20歳になったらバーの方も手伝うと宣言していた通り、 20歳になった日からバーの方に顔を出すようになった。 「お前、雪菜ちゃんが20歳になってから行ってないだろ?今度プレゼント持って行けよ」 泉の言葉に弘樹がコクリと頷いた。 流石に食事は終わったらしく、お茶を飲んでいる。 会員制のバーは、一見さんお断りということで本当に限られた人間しか出入りが許されていない。 会員は全て顔見知りと言ってもおかしくないほどだ。 決して怪しい会合が行われているわけではなく、 マスコミに追い掛け回されるのが嫌な資産家や、 その関係者などがゆっくり食事や酒を楽しめるようにという配慮のもと、そのような制度になっていた。 「時が経つの早いな」 「おっさんか」 「いや・・・雪菜ちゃんは20歳だし、お前は別れたし」 「それは関係ないだろう」 「・・・別れるとは思ってなかったからな」 弘樹は意外だったかも知れないが、泉は決してそんなことはなかった。 だって、この恋は元々誰にも知られてはいけなかったのだから。