4月 3
「やきゅーやるからあそべない」
「なんだよ・・・それ」
「いずみもやきゅーやれよ。おもしろいぞ」
泉が野球を始めたキッカケはそれだけだった。
いつも遊んでいた弘樹が野球をは始めて、構ってくれなくなったから。
一緒にやろうと誘ってくれて野球をやれば弘樹と一緒に居られるから。
弘樹と一緒に居られれば何でも楽しかった。
もしかしたら本人は気付いていなかったが当時から恋愛対象として見ていたのかもしれない。
どうやら自分には野球の才能があったらしく、
少年野球チームでもすぐにレギュラーになることが出来た。
弘樹に褒められた。
別にレギュラーが嬉しかったのではない。
自分のことのように喜んでくれる弘樹を見るのが嬉しかったのだ。
「俺、プロ目指したい。お前は?」
「俺はどうしたら良い?」
そう聞けば、弘樹は笑いながら自分で決めろと言った。
それが高校時代。
一頻り笑った後、お前は俺よりも才能があるからプロに行ったら絶対活躍できると言った。
弘樹の方が断然野球が好きで、練習もするんだからそんなことはないだろうと思った。
でも結局弘樹に付いて大学でも野球部に入った。
「日本代表合宿だってさ」
「もっと誇らしげな顔をしろよ」
聖龍学園大学野球部一年生から選ばれたのは泉と弘樹だけだった。
各大学から選抜された学生が集まり、一週間の合宿が行われる。
一年生で選抜されるのは珍しい事らしく、その年は3人しか居なかった。
泉と弘樹と東経大学から選ばれた義巳である。
運営側が気を遣ったのか、合宿の間の宿泊施設は3人を一部屋にしてくれた。
普通は投手同士で同部屋にすることが多いので泉に対する最大限の配慮なのはすぐに分かった。
大富豪の御曹司というのと、
兄を亡くして間もなく精神的ダメージが払拭されていないという同情票も入っていたと思われる。
その配慮は正直ありがたく、泉は弘樹と同部屋というだけで少し安心していた。
始めて顔を合わせたのは部屋の中だったが、もちろんお互い相手の顔は知っていた。
「どうも、聖龍学園大学の古都泉です」
「あ、どうも。俺は東経大学の高瀬義巳です」
「もう一人、今居ないけど井坂弘樹っていうのがいるんだけど、まあ知ってるよな」
「あ、うん・・・っていうかタメ口でいいかな」
「もちろん。同い年だからな」
義巳の問いに思わず笑いながら答えれば彼も笑った。
笑うと八重歯が見える。
東経付属の高瀬義巳、は高校時代から強打者で有名だった。
残念ながら高校野球大会では一度も対戦することは叶わなかったが、よく顔は知っていた。
恐らく同学年に泉が居なかったらもっと注目され、
メディアに追い掛け回される格好の餌食になったことだろう。
顔立ちも綺麗で女性ウケしそうだった。
泉は得意の愛想笑いでその場をやり過ごし、弘樹が来るのを待った。
自分の荷物を左肩に掛けて持ってきた弘樹は義巳に挨拶した後、あっという間に仲良くなった。
彼の人懐こさには泉はいつも感心してしまうのだが、その時もそうだった。
「双子の弟がいるんだ」
「うん、そう。今医者の勉強するためにアメリカに行っていてね」
「は?医者?」
「あ、うん。ちょっと中学の頃事故にあってね。それから医学に目覚めたみたい。元々俺より勉強できたし」
「医者とは俺等関わりが深いんだよ」
彼との付き合いはこんな感じで始まった。
いつだろうか、彼がバイ・セクシャルだと気付いたのは。
元々泉はなんとなくノーマルか、こっち側の人間か、判断できる能力を持っていた。
なんとなく、彼はこっち側のような気がしていた。
ある時サラリと聞いてみたら、サラリと聞き返された。
自分が素直にゲイだとカミングアウトすれば、
彼は笑いながらバイ・セクシャルだとカミングアウトしてくれた。
それからしばらくしてだろうか。
恋人同士と言われる関係になったのは。
両親の事故も兄の事故もまだ完全には受け入れられていなかった泉にはとにかく支えが必要だった。
いつもそばに居てくれる弘樹以上に大きな支えが。
その役割を見事に義巳が担ってくれた。
彼にとっては大事な大事な人だったのだ。
今でもそれは変わらない。
それなのに、何故。
「泉?大丈夫か?」
「・・・ん?」
「随分うなされてたぞ」
「・・・大丈夫」
弘樹に揺り起こされて目を覚ました泉はここが新幹線の中だということを思い出した。
弘樹を安心させるために笑みを見せるが当然彼は信じてくれず心配そうな表情を浮かべた。
「ちょっと変な夢見ただけ」
「最近多いよな」
「移動中は眠りが浅いんだよ」
「俺は結構そんなことないけど」
「お前は鷹さんに似ているんだよ。羨ましい」
そういえば義巳も寝付きが悪かったなと思い出す。
遠征中、彼はちゃんと寝られているのだろうか。
この前朝5時頃に電話が掛かってきたぐらいだからあまり寝られていないのだろうと予想する。
二年目の全日本代表選抜合宿に選ばれた時は予めまくらを持って行こうと二人で相談し、
実際持って行ったことがある。
三年目からは二人でくっつき合っていれば問題なく寝られるようになった。
大きな溜息をつく。
「まだ寝られるぞ」
「お前寝ないの」
「お前の呻き声で起きたんだよ」
そう言って弘樹が笑った。
このように泉に全く遠慮しない人間は弘樹ぐらいしかいない。
幼稚部の頃からだ。
アッシュブラウンの髪、
ダークブルーの目を持つ、ファルコン製薬の御曹司は周囲からいつも浮いていた。
周りからはいつも一歩引かれる。
違うものとして扱われる。
飛行機事故の後からはそれが顕著に現れるようになった。
皆が泉を腫れ物に触るように扱う。
学生たちだけではない、先生たちも皆。
そんな扱いには慣れてきた。
諦めきっていた泉をなんとか一般と同じ生活をさせようとしたのは弘樹だった。
今でも連絡を取る友人は皆元々は弘樹の友人だった。
泉がなんとか学生生活をまともに過ごせたのは一重に弘樹のお陰だった。
いくら聖龍学園が全国の富豪のご子息ご令嬢が集まる学園だったとしても
その中でも古都家は浮いていたのだ。
良い意味で言えば格が違う。
しかしそれは泉が望んだことではなかった。
学園一目立つ存在だった泉が求めていたのは平凡な学生生活だったのだ。
不幸なことは沢山あった。
しかし、必要以上に同情されたくはなかった。
日本一乗り物運が無い一族と世間で噂されているのは知っている。
だから自分が公共の乗物に乗るのはあまり嬉しいものではなかった。
新幹線に乗る度に、脱線したらどうしようとか、飛行機が墜落したら、とか。
バスが横転したら、とか考えたらきりがない。
一時期乗物恐怖症になった彼には今でも長時間移動では睡眠薬を服用するが、眠りが浅いのが難点だった。
「着いたら、とんこつラーメンが食べたい」
「俺は豚はパスだ」
「いい店調べたのに」
唇を尖らせた弘樹の髪を撫でる。
泉がゲイだということをよく知っているはずの弘樹は
それでも全く警戒をする仕草を見せることがない。
それは昔からだった。
「お前だけ食えばいいじゃん」
「お前、一人だと飯食わねえじゃん」
「ホテルで何か食うよ」
「あ、明太子なら食えるだろ?」
まだ睡眠薬は少し効いているようだった。
意識の向こうの方で弘樹の声が聞こえたのでそれに肯定の返事をする。
彼に聞こえただろうか。
彼が納得したのか、泉の意識がまた無くなりそうだと判断したのかは分からない。
うつらうつらとする意識の中で左手が無意識に彷徨う。
それに温かいものが触れて少し安心した。
弘樹の手なのは分かっている。
何時からから、これが安心する時の儀式と化していた。
変な疑いを掛けられないように他の選手には見えないようにという配慮は朧気な意識でもしているが、
見られたとしても兄弟のように育ってきた二人だからと微笑ましく思われて片付けられるかもしれない。
そうでなくても泉の乗物嫌いは周知の事実になっているのだ。
遠くなる意識の中で、
飛行機が落ちた時の機内の状況はどうだったのだろうかなどと何度考えたか分からないことを考える。
弘樹の手を握る力が強くなった。
「あ、俺ここの店行ったことある。あんみつが美味いんだよ」
「お前、本当に甘い物好きだよな」
その日も皆でテレビを見ながら夕食を食べていた。
井坂家から高校に近い古都家に下宿している弘樹、
そして長男の拓馬(たくま)と結婚したばかりの弘樹の実の姉、
美咲(みさき)、そして泉の四人だった。
「雪姫ちゃんも甘いものが好きだから、こっちに着いたら一緒に行きましょうか。あのお店」
「俺は甘いの苦手なんだけど」
拓馬が苦笑いしながらも楽しそうにしていたのもよく覚えている。
雪姫と鷹秋が飛行機に乗り遅れ、次の便で帰ってくるという情報は既に入ってきていた。
「じゃあ、たーくんはお留守番ね」
「え、酷い」
「甘味以外もあるんじゃねえの?」
「うわ、あのクレープも美味そう」
「お前は食い物ばっかりかよ」
「美味しそうね」
「・・・・・・流石姉弟だな」
「なんですって?」
穏やかな会話は次の瞬間、止まった。
先程まで和やかに見ていたグルメ番組から
警戒音が何度かなって画面の上にニュース速報が入ったのだ。
なんだろうと思いながらボーっとそれを眺めると、そこにありえない文章が表示された。
最初は自分の見たものが信じられなくて思わず弘樹を見た。
弘樹も泉を見ていた。
そして二人は拓馬と美咲を見た。
彼と彼女も泉と弘樹を見た。
4人は顔を一度見合わせた。
「う・・・そよね・・・」
「親父たち、何時の便に乗ったんだ?何便って言ってた?」
「とりあえず落ち着きましょう。コーヒーでも淹れる?」
「まだ落ちたって決まったわけじゃない。行方不明ってだけだ」
「・・・うん」
「何事も無く着陸するわよ。うん。天気が悪いから行方不明になっちゃっただけよ」
アメリカから日本に出発した航空機が消息不明。
そのニュースは直ぐに日本のトップニュースになった。
先程まで放送していたグルメ番組はいつの間にか終了し、緊急ニュースが始まる。
否が応でもそれは切羽詰まった状況を示すもので
4人はいつの間にか身体を寄せあってリビングのソファに座っていた。
外は大雨だった。
それから5時間後、航空機の墜落が確認された。
「うわっ」
「またうなされてたぞ、大丈夫か?」
「気持ち悪い」
「大丈夫か?酔ったか?」
「変な夢見た・・・」
弘樹から差し出されたスポーツドリンクを一口飲んだ。
「どんな夢だ?吐いちまえ」
「あの日の夢」
「どっち?」
「飛行機の方」
どちら、というのは飛行機墜落事故の方か、その後の古都飛鳥バイク事故の方かという質問だろう。
泉がうなされる悪夢は大体そのどちらかだった。
昨日のことのように思い出すその光景。
吐き気を催す程鮮明に思い出せる。
最近はそれに義巳との思い出も悪夢として襲ってきていた。
しかし、それは弘樹には言えない。
「もう寝たくない」
「もう少しでつくから」
「ごめんな、お前も一緒なのに」
あの日は夜中に慌てて帰ってきた飛鳥と一緒に朝一番で春名山へと向かった。
いくら九州とはいえ、1月の半ばなので寒かった。
しかし、寒さにかまけている余裕は全く一行にはなかった。
最寄り駅から現場近くの集会場までは関係者用のバスが出ていた。
集会場が遺体安置所のことなのは行ってすぐに分かった。
感受性が豊かな飛鳥の顔色はすぐに真っ青になり、
外の空気を吸って来た方がいいと拓馬が声を掛けた。
飛鳥は頷いて、部屋から出ていった。
名前が呼ばれたのはそれからどれ位経った頃だろうか。
すぐのようにもとても経ってからのようにも思える。
ここで名前を呼ばれることは決して良いことではなかった。
それはそこに遺体があるということだった。
結局、泉の父親の遺体は見つかったが、弘樹の両親の遺体は見つからなかった。
見つかったのは父親の持ち物と思われるバックだけだった。
「ごめん」
「俺は見つからなかったからな。見つからなくてよかったような気さえする」
「そうか?」
「うん。お前みたいにならなかったのは見つからなかったからだ」
泉の父親が見つかったのは遺体の一部分である。
正確には右腕の一部だけ。
彼が着けていた腕時計は一点物で見てすぐに彼の物だと分かった。
それと同時にその腕が彼の物であるということが証明された。
自分の父親の一部分。
棺を開けた時の臭い。
その全てが泉に嫌悪感を抱かせるには充分だった。
何やらこみ上げて来るものを抑えるために慌てて口を押さえた。
足元がふらついた。
すぐに支えてくれた弘樹がとてもありがたく、頼もしかった。
兄の拓馬がすぐに、外に出るようにと声を掛けてくれた。
美咲が背中をさすってくれた。
弘樹に肩を抱かれて集会場から出た泉はそのままトイレに駆け込んだ。
全てを吐き出した。
とてもとてもあれが父親だとは思えなかった。
泉にはただの肉の塊にしか見えなかったのだ。
「俺は弱すぎるんだよな」
「んなことない。俺がちょっと鈍すぎるだけかもしれない」
「俺があまりにも酷かったから泣いている余裕が無かっただけだよ、お前は」
遺体が見つからなかったということもあって実感が湧かなかったのかもしれない。
とうとう葬式まで弘樹は泣かなかった。
傍からは感受性が鈍いだの、
酷い親族は感性が欠落しているだの言われていたが、
泉は弘樹が十分すぎるほど悲しんでいることが分かっていた。
10歳の時に母親をくも膜下出血で亡くしてからは父親と姉に育てられてきたのだ。
父親が居なくなって悲しくないわけがなかった。
彼が涙を流さなかったのは、
泉が寝こむほどにショックを受けていたのと、
同じく両親を亡くして自分もその飛行機に乗る予定であった雪姫が日本にやってきたからである。
「ほら、着いたぞ」
「ああ、うん」
「降り過ごすぞ」
「分かっている」
いつの間にか次の駅が目的地になっていた。
弘樹に促されて降車準備をする。
こんなことを考えたのはここが福岡だからだろうか。
航空機が落ちた春名山がある福岡県。
毎年足を踏み入れる県ではあるものの一度もゆっくり観光はしたことがない。
今日はこの後自由行動のはずだからゆっくり観光してみようかなんて思ってみる。
睡眠薬のせいか、まだ頭はボーっとしていた。
新幹線から降りて二、三度頭を振る。
弘樹が荷物を持って待っていた。
「行くぞ」
「うん」
「これからバス移動だから」
改札から外に出て、更に駅から出ると、風に髪の毛が揺れた。
結構な突風が吹いているがあまり寒くはない。
4月中旬、しかも九州である。
毎年、福岡には1月にしか来ていないのでとても新鮮に感じられる。
日差しが眩しく、泉は險しい表情を浮かべながら外を歩く。
外に既に待っているファンが居て、応援の声がかけられる。
流石に險しい顔をし続けるのは誤解を招くだろうと、
バッグの中からサングラスを引っ張りだして掛けた。
これでも批判的なマスコミやファンは新人がサングラスを掛けて移動しているなんて・・・
と批判するかもしれないが、仕方ない。
口元に精一杯の笑みを浮かべて、出来る限り丁寧に対応しながら外を歩く。
一人にサインを書き始めると際限がないので、
移動中はサインをしないようにと球団からは厳命されていた。
球場の敷地内ならともかく、公共の場では他の人に迷惑が掛かるからである。
「風すごいな」
「気持ちいいけどな」
「まあな」
何とか人をかき分けて、
中部クレインズが手配しているバスまで辿り着けば、既に何人かの先輩たちが待っていた。
泉たちを好意的に迎えて大変だなと同情してくれる先輩たちももちろんいる。
そちらの方が多いのだが、気に入らなそうな表情を浮かべている先輩たちも当然居た。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
「どうせ今だけなんでご勘弁を」
「ああ、そうだな。
どうせドラフト1位の御曹司様はすぐに一軍だもんな。苦労しなくても。羨ましいこったい」
投げられた強烈な厭味に泉は得意な愛想笑いを浮かべた。
「そんなに羨ましいなら、是非変わっていただきたいものです」